俳優の中山翔貴さんは中山秀征さんの息子ですが、実は2023年10月15日からTBS系で放送されていた日曜劇場『下剋上球児』に出演していました。
『下剋上球児』を視聴されていた方の中には、どの役が中山翔貴さんであったか知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
中山翔貴さんは一体下剋上球児ではどんな役だったのでしょうか?
また、中山翔貴さんの出身大学は青山学院大学で、野球部に所属されていましたが大学野球での評価はどうだったのでしょうか。
そこで今回は「中山翔貴下剋上球児での役名は何だった?青山学院大学野球部での評価は?」と題して、中山翔貴さんに焦点を当ててみたいと思います。
中山翔貴下剋上球児での役名は何だった?
中山翔貴さんの下剋上球児での役名は、
という生徒の役でした。
中山翔貴さんが演じた阪大輔は『下剋上球児』の第7話からの登場で、2018年度入学の1年生の生徒でした。
阪大輔は明るいムードメーカーの投手なのですが、中山翔貴さんは阪大輔について、
と話しています。
また『下剋上球児』は、レギュラーの生徒役を決定するのに半年間もの期間を費やしてオーデションを重ねてきました。
しかし、中山翔貴さんは半年間にもおよぶオーデションに落選し、かなりショックを受けたと明かしています。
その落ち込みは、外出もできなくなってしまうほどだったとか。
中山翔貴さんは6歳から野球をしており、これまでさまざまな作品に出演した経験もあったため、『下剋上球児』のオーデションも恐らく合格する自信があったのでしょう。
しかしその落ち込みから一転、オーデション時にみせた140㎞のストレートがきっかけで、7話からではありますが「阪大輔」という役柄を得ることができました。
レギュラー出演ではありませんでしたが、16年間野球をしていたことで見せることができた140kmストレートのおかげで、見事阪大輔という役を演じることになったのです。
中山翔貴の青山学院大学野球部での評価は?
中山翔貴さんの出身大学は青山学院大学で、野球部に所属していました。
『下剋上球児』に出演していたくらいなのでその腕前や評価が気になりますが、中山翔貴さんは青山学院大学野球部では、
を務めており、かなりの高評価だったことは確かです。
また、中山翔貴さんは小学校から青山学院で野球をし、大学4年生までずっと野球を続けていたので、辛く大変な経験もされてきたのではないでしょうか。
中山翔貴の野球の経歴
中山翔貴さんが6歳から野球をしてきたことは前述していますが、野球の経歴はどのようなものなのでしょうか。
小学校1年(6歳)、野球を始める
小学生時代、野球チーム「オール麻布」に所属
中学時代、野球部に所属し外野手を務める
高校1年、投手を務めベンチ入り
高校3年、エースを務め東東京大会ベスト16の成績に貢献
大学4年、東都2部リーグ 優勝後、1部リーグに昇格
中山翔貴さんは、小学1年生の6歳の頃に野球をやり始め、地元の野球チーム「オール麻布」に在籍していました。
中学生までのポジションは外野手で、高校生から投手を務めています。
また、青山学院大学2年生の時に野球部員が増えてきたという事や自身が腰を痛めていたということもあり、自分の生き残りをかけて、今までオーバースローだったのを下手投げ(アンダースロー)に変更しています。
誰に教わるでもなく、動画などを見て研究を重ねた結果エースの座につけたという事になります。
また、大学4年生の時には7年ぶりとなる東都2部リーグで優勝し、チームの1部昇格に貢献しました。
大学野球部ではエースでキャプテンを務め2部リーグではありますが優勝に導いた立役者であることは間違いないですね。
まとめ
今回は「中山翔貴下剋上球児での役名は何だった?青山学院大学野球部での評価は?」と題して、中山翔貴さんの下剋上球児の役柄と青山学院大学野球部での評価について紹介してきました。
中山翔貴さんの下剋上球児での役名は「阪大輔(ばんだいすけ)」という第7話から登場した生徒役でした。
一度『下剋上球児』のレギュラー役オーデションに落選するも、オーデション時にみせた140㎞のストレートがきっかけで、阪大輔役を見事獲得することになりました。
また、中山翔貴さんの出身大学は青山学院大学で、野球部に所属し、エースでキャプテンを務めていました。
大学4年の時に、東都2部リーグで優勝して1部リーグに昇格させた実績があるため、野球の評価は高いと言えます。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
「自分にあった役柄で、とてもやりやすかった。」