電撃ネットワークの南部虎弾さんが2024年1月20日(土)に脳卒中により、お亡くなりになりました。
「電撃ネットワーク」や「南部虎弾」という名前を聞いたことがあっても、南部虎弾さんがどのような人物であったのかよく知らないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
また、南部虎弾さんの若い頃は、実はダチョウ俱楽部のリーダーだったのです。
そこで今回は「南部虎弾の若い頃はダチョウ俱楽部のリーダーだった!画像や経歴も!」と題して、電撃ネットワークの南部虎弾さんについて調査したいと思います。
南部虎弾の若い頃はダチョウ俱楽部のリーダーだった!
南部虎弾さんは実は若い頃、電撃ネットワークの前にダチョウ俱楽部に入っており、リーダーを務めていました。
1985年~1987年までの2年間という短い期間でしたが、方向性の違いにより南部虎弾さんだけ脱退することになったのです。
1985-87年の2年間、南部氏が、ダチョウ倶楽部のリーダーを務めたことをご存知だろうか。南部氏だけ脱退することとなった理由は、方向性の違い。
引用元:Forbes
南部虎弾が若い頃ダチョウ俱楽部を脱退した理由
方向性の違いで南部虎弾さんがダチョウ俱楽部を脱退したと言いましたが、詳しいことを説明します。
南部虎弾さんは若い頃尖っていた時期があり、タモリさんに向かって、
という、なんとも生意気な口をきいたと言います。
それに対し、タモリさんは、
と穏やかな返事をしてくれたそうですが、他の大御所にも同じような生意気な態度を取っていたことから、顔を赤くして怒った方もいたそうです。
そんな風に大御所の地雷を踏んでいくリーダーの言動に、ダチョウ俱楽部のメンバーの肥後さん・寺門さん・上島さんは良く思わなくなったと言います。
こういった若い頃の南部虎弾さんの言動により、ダチョウ俱楽部の3人とうまくやれなくなり、方向性の違いとして南部虎弾さんだけが脱退したということです。
南部虎弾の若い頃の画像
そんな尖りまくっていた南部虎弾さんの若い頃の写真画像は、こちらです。
#今日は何の日#南部虎太#南部寅太#南部ちゃん#電撃ネットワーク
— 全温怒チアー🌤冬のサマーキャンペーンプレゼント (@_30776506271) July 14, 2020
若い頃の南部虎弾。#ダチョウ倶楽部 の元リーダー。芸名の名づけ親は市原悦子さんなんだそうです。
7月14日は南部虎弾さんの誕生日。 pic.twitter.com/WNGm3SHuaE
眼鏡やサングラスをかけている印象の強い南部虎弾さんですが、若い頃の写真画像を見ると眼鏡をしていないものが多くありました。
そんな南部虎弾さんはダチョウ俱楽部に入る前は何をしていたのでしょうか。
南部虎弾の若い頃は何をしてた?
南部虎弾さんは若い頃、実は第一生命で営業マンとして働いていました。
しかし、突如会社を退職し、単身でフランスに渡仏したと言います。
なぜ急にフランスに行ったのか、その理由は明らかになっていませんが、フランスではボランティア活動をしていたそうです。
帰国後は、役者になるため「テアトル・エコー」という役者の養成所に所属しました。
こういった南部虎弾さんの若い頃の経緯を見てみると、第一生命での営業は面白く感じなかったのかもしれませんね。
南部虎弾の経歴
南部虎弾さんの若い頃がわかったところで、全体を通した経歴を見ていきましょう。
大学中退後、第一生命で営業マンとして勤務
22歳の頃、目的もなく渡仏
半年後、帰国しロシア音楽舞踊団に入り、看板女優2人と関係を持ってクビになる
1980年、黒澤明監督の映画「影武者」にオーディションで合格し、出演
1985年、ダチョウ俱楽部のリーダー就任
1987年、ダチョウ俱楽部脱退
1990年、電撃ネットワーク結成
1992年、「トーキョー・ショック・ボーイズ」として海外進出し大反響
その後、プロレスや格闘技イベントのプロデューサーとして活動
2017年3月末、糖尿病の悪化により自宅で倒れ、緊急入院
同年9月、連続ショートドラマ『あじさい』で活動再開
2022年、メンズケアブランド「VITERA(バイテラ)」のアンバサダーに起用
2024年1月20日、脳卒中のため死去
電撃ネットワークではかなり身体を張った芸を披露しており、金魚を飲み込んで吐き出すという「人間ポンプおじさん」や金魚ではなくピラニアを飲み込んで人生一番の激痛を経験するなどしてきました。
日本ではこのような身体を張る芸風は特に女性には嫌がられますが、海外では人気だったとのことです。
南部虎弾さんは若い頃からお亡くなりになるまで、身体を張った人生だったということですね!
まとめ
今回は「南部虎弾の若い頃はダチョウ俱楽部のリーダーだった!画像や経歴も!」と題して、電撃ネットワークの南部虎弾さんについて調査しました。
南部虎弾さんの若い頃はダチョウ俱楽部のリーダーを務めていましたが、方向性の違いにより南部虎弾さんはクビになり、脱退しました。
若い頃の写真画像を見ると、眼鏡をかけていないものもあり、最近までの南部虎弾さんとはイメージが異なるように感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんな南部虎弾さんの若い頃からの経歴を見ていくと、人生のほとんどが身体を張っていたことがわかります。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
「お笑いらしいお笑いをやってないのに、『お笑いの帝王』って呼ばれるのはおかしくないですか?」